Donald G McNurlan 一家が帰っていった。
「日本語はマスターできましたか?」と聞くと、「まだなかなか難しい」と言う。
やはり敬語の使い方、濁音、が難しいとの事である。
しかし、新聞、雑誌は殆ど読めると言うから、大変上達したものだと思う。
彼はニックネームがDONで、私達にもそう呼ばせた。私にもニックネームを求められたが、取って付けたようなものしか候補に登らなかったので、ファーストネームで我慢してもらった。
DONは米国防省に勤めるが、志願して日本語の勉強のため昨夏から家族で東京に滞在していた。
今回の滞在とは別に、彼は5年前まで、東京の米国大使館に駐在していた。
当時余暇に英語の家庭教師をしており、私はその生徒だったのである。
当時の印象では、、日本語にも堪能だと思っていたので、日本語勉強のため再度渡来すると聞いたとき、不思議に思ったほどだ。
私が初めて海外に出たのは、仕事の都合で1989年の米国出張であった。
当時殆ど駄目だった英会話を、出張に先立って彼が手ほどきしてくれた。
私は代々木の彼のレジデンスで行われた週に一度、会話を楽しみつつフレーズを習得していくやり方のレッスンが楽しみだった。
そんなきっかけでDONとのつき合いは始まった。
3年目の春、彼が或る日本の女性と結婚するので、隅田川の屋形船でパーティーを開くという。
私にも出席要請があった。そう言えば、lessonに通うと、玄関に時々女性の靴が揃えてあった。相手は今の夫人
Kayoko McNurlanである。
残念ながら、パーティーは直前にDONの体調に不全を来たし、屋形船パーティー出来なくなったが、替わって秋に、山王ホテルで改めて盛大に、まか不思議な和洋折衷の披露パーティーが開かれた。
そして一年後は愛娘(Akiko)に恵まれ、単身から3人家族に発展して、翌年メリーランドへ帰っていった。
Akikoが生まれてから次のお正月、我が家のパーティーに招待したら、日本の家屋が好きだと言って参加してきた。
それ以来家族ぐるみのつき合いとなり、外で食事をしたり、葉山へ旅行をしたり、いつの間にか師弟関係は無くなってしまった。
私も、家内と一緒に彼らが帰ったメリーランドの家を訪ね、ワシントンDCを案内してもらったこともある。
今回の来日は、当初全くプライベートで日本語を勉強したいとのことであったので、寄宿先を探すなど当方も少々のお手伝いを試みたが、途中から運良く政府の派遣研修生への志願が通り、住宅も大岡山の伝統的日本建築の庭付き住宅にすんなり決まった。
ただ、先方を発した家財の到着が業者のミスで一ヶ月も遅れ、その間信州の私の南天寮を提供して過ごすなど、アクシデントから始まった。夏場は良かったものの、冬の日本家屋は大体において寒いから、12月からは家族みんなで風邪をひきっ放しだったようで気の毒だった。
しかし振り返れば、一年間なんてあっという間であった。
勉強への取組は兎も角、折角の機会だから、あっちもこっちも一緒に行ってみよう等と、再来日を喜んだのはつい昨日のように思う。だが、結果としては数度の食事会と谷川岳へのバスツアーぐらいか。
もっとも、DON個人は家族とは別に、厚木基地にいる友人Stanと、南も北も10日間サイズのドライビングツアー楽しんだようだ。Stanは基地の車が使える(これが又特権有り)し職務上岩国や三沢に関連する仕事も持っているらしいので、自由自在に動ける。
家内と相談して、帰る前に大相撲に招待しようと言うことになった。DON一家はあちらでNHKが送る衛星放送の相撲を楽しみ、水戸泉などがファンだという。夫人が日本人でもあり、日本趣味のDONは私達より余程詳しい。5月場所13日目の枡席が友人の伝で手に入った。我が夫婦も国技館は初めてなので良い機会だった。
残念ながら、Akikoが2時間を超える観戦に耐えられないとのことでkayyoko夫人が欠席、代わりにStanが来た。
私の友人の計らいがあって、3取組を審判員と並ぶ砂被り席で見たのは壮観、印象的だった。
ただ、さすがに枡席は、殊に膝を曲げるのが苦手の外人には窮屈この上ないようだ。私にも応えた。どだい大人4人はあの面積では無理ではないかと思う。
そこえもっていって、飲む、食うをこれでもかと運んでくる伝統的相撲見物のしきたり。挙げ句の果て、帰りに山ほどの土産物があり、みんなで仰天してしまった。物を沢山もらうのは満更でもないサービスで、嬉しさはあるが、それこそ日本独特の大名気分と言う奴の流れなのかも知れない。まあ良い土産話にはなった。土産物は自宅に持ち帰って、Akikoが喜んだであろう。
DONが日本語が上手くなるほど、私は英語を使わなくて済むようになり、今は殆ど日本語で済ます。詳細を説明するときだけお互いに和英混合語でやり取りするのだが、これが良く解って面白い。言葉は度胸をバックにお互いの暗号だ等と言われることも良く解るような気がする。
ハワイにある政府施設で一週間のレジャーを楽しみ、帰国すると言っていた。もう、メリーランドの自宅に落ち着いただろうか。
500坪もある敷地に芝生の庭、日本人から見たら贅沢な住宅である。大きな樫の木の影を落とすデッキでバーベキューを楽しんだ何年か前の秋を思い出す。
出発するときは、今度来たらマサチューセッツへドライブしようと約束を促していた。私がケネディーのファンであることを覚えていて、前回案内したケネディーの墓、上院本会議場(何と貴賓席に着席させてもらった)の続きで、ハイアニスの実家へ行こうと言うことらしい。
Mr.DONからは英語ばかりでなく、色々な事を教わった。
P.Cを早く導入するようにと促されて、面倒なLetterのやりとりをe-mailに変えたのも彼の影響だ。
ベトナムの結果の米国内での反応や、湾岸戦争の理解の仕方も彼の影響がなかったとは言えない。
英米人らしい身勝手さは否めないが、真摯、冷静なアメリカ人で家庭思いである。
NHK3チャンネルの子供番組で、Akikoがこの程の日本滞在中の幼稚園で撮った録画が、九月からタイトルに流されるのを楽しみにしているだろう。
たまたま私の長男も、前後して仕事の関係でニューヨークへ渡った。こちらも4〜5年は帰らないだろうと言う。
我が家では、あれやこれやで急にアメリカに関心が高まり、そうあるべくして帰っていったDON一家にも郷愁が湧いて懐かしくなる。
風次郎も風に乗って、太平洋を越えたい。 (00.07)
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