2002秋山麓 

BGM by Kaseda Music Labo

           前の職場の後輩から電話がかかってきた。体育の日を挟んだ連休に富士見高原でゴルフをやりたいが良いか?と,誘いとも、
          押し掛けともとれるような、或いは小生の御機嫌取りとも勘ぐられる話であったが、‐‐‐‐‐何の理由にせよこちらには異存は無か
          った。まだその頃の予定を考えていない9月のはじめであった。
           私は前職場との関係を、一旦客観的な目で見たいと思い、時間をかけて関係を隔てていた。その間が1年を越し、親しくしてい
          た職場の仲間には無性に会いたくなっていたから、OKどころかこちらからも積極的に呼びこんで、この企画は実現することにな
          った。ゴルフもここ1年遠ざかっていた。もし晴れた富士見高原ゴルフコースだったらどんなに楽しいことかと思いは馳せた。幸い
          にして10月13日(日)の8時前が予約できた。パーティーは企画立案のT、私の隣に席を並べていたY、私が大宮に赴任した時
          の前任者Nそれに小生ということになった。
           Tは東京、Yは広島でまだ現役で活躍中である。Nはすでに退職し家業の損害保険代理店を独特の手法で安定成長させている。
          その上地元埼玉で「100年の森」という緑化構想を着々と展開している。彼等は前日からやってくることになり、南天寮に一泊する
          ことになった。
           せっかくの信州の秋なのだ。電話での話しを聞いていると、彼等は以前にも3人で秘湯めぐりを楽しんでいるらしい。それなら前
          日は八ケ岳山麓のとっておきを案内しようじゃないかと、久し振りに「唐沢鉱泉」を訪ねることにした。

           八ケ岳は富士火山帯に属する休火山で噴煙こそ見ないが、糸魚川から松本平、諏訪湖を経由して富士川を下るフォッサマグナ
          の東に位置するまだ活性可能な火山である。風次郎の住む富士見高原はその西南の裾野であるが、町の方々に温泉が掘られて、
          町民や観光客に親しまれるようになった。古くより賑わう諏訪湖周辺の上諏訪、下諏訪の温泉市街地、蓼科高原、白樺高原などは
          温泉リゾートとして有名である。さらに八ヶ岳のふところには数多い鉱泉が湧き出している。こちらはつい最近まで登山者の愛湯的
          存在だったが、近年レジャーブームに端を発して余暇に温泉を捜し求めて楽しもうという族が多出し、八ヶ岳でも硫黄岳の本沢にあ
          る露天風呂などまで一躍有名になってしまった。又、諏訪側の山襞に沸く湯元奥蓼科や横谷峡は歴史をもつ湯治場であったが、昨
          今は別荘を伴う観光地になった。しかし唐沢鉱泉、赤岳鉱泉は登山路を辿らねばならぬ必然性から、依然として客筋は登山者が圧
          倒的である。幸いな事に唐沢鉱泉へは車が入れるようになったので行きやすくなった。建物も山小屋というよりホテル風にきれいに
          改装され、沢の景観と相俟って深山の雰囲気に浸ることができる。風次郎も山好きの家族連れに等はここをすすめている。 

           一行は東京で結集して関越道を走り、佐久から八ヶ岳縦断道路で麦草峠を越えて来る事になった。
           10月12日は3連休の初日、朝からの素晴らしい晴天が、午後になっても続くことを見とおせる青空が広がっていた。紅葉の始ま
           りを迎えた八ヶ岳山麓は、朝夕の冷たい空気が、澄んで引き締まる感じだ。南天寮の庭の芝生も少し枯れはじめて緑が薄くなっ
           てきた。その先に立つ白樺の木々は、すでに葉を黄色に染めてしまって秋を知らせている。 いつものことながら連休の初日は道
           路が渋滞するので、こちらに向かう彼等も相当な時間の遅れ生ずることを予想しなければなるまい、と腹を括っていたが案の定で
           あった。佐久へ入る前からかなり難儀の状態を携帯電話で伝えてきた。少し時間をずらして3時ごろ麦草峠で待ち合せることにし
           た。午後の陽を浴びながら、紅葉の裾野のを走り麦草峠に向かう。
            メルヘン街道と命名された茅野―佐久間の八ヶ岳縦断道路国道299号線は、高速長野道が開通ののちフォローして整備が進み、
           佐久と諏訪を結ぶ幹線になった。風次郎が偲ぶ昭和40年代の頃は、一雨あれば山を駆け下る雨水によって路面に水路が彫られ
           たり、路肩を崩されて通行ままならぬ山岳道路だった。砂利道にもかかわらず、それでも麦草が越えられるようになったことで、諏
           訪と佐久の交通の便はぐんと近くなったのであった。同時に信州を眺める稀有な山岳ドライブコースでもあった。碓氷峠を越えて、
           或いは秩父の荒船峠を越えて、秋ならばのどかなコスモスの道を佐久に下り、千曲川を渡って八千穂、立科のなだらかな高原地
           帯を、東から眺める八ヶ岳を正面に見据えつつ、優雅に浅間山を背景にしてのドライブは楽しめるコースだった。峠には原始林の
           中に深緑に透き通る水をたたえる白駒の池があり、厚い苔のあいだを、登山道が池之端から高見石への登りにつづく。高見石で
           はテラス付きの小屋が通年客を迎えてくれる。八ヶ岳の本登山をめざすなら、左に中山峠方面を選び稜線を縦走すれば良い。ドラ
           イブの途中の時間を気軽に楽しむなら、テラスでお茶を楽しみ、隣の大きな石が積み上げられたような山頂によじ登って、白駒の
           池の神秘な水面を眺めるだけでも良い。感嘆を味あわぬ人はいないと思う。晴れてさえいれば白煙を上げる浅間山の姿が原始林
           の先に浮かんでいるはずだ。
            数年前の秋、東京の友人たち7〜8人で登ったときは11月も半ばであり、ここから北隣の峰である大山を越えて麦草ヒュッテまで
           の道は、葉が落ちてしまった樹に美しい樹氷がついて素晴らしいハイキングになった思い出がある。

            麦草峠のヒュッテで、お茶を飲みながら彼等を待つのも悪くは無かった。
            好天に恵まれ、山は大賑わいで駐車場は溢れていた。道路が良くなったので車で峠を越える、或いは峠を目指す人が多くなり、こ
            とに見通しの良い日は、誰もが車を止めて一服するに違いない。ヒュッテはそういった客と、歩いて山を楽しむ客とが入り乱れて混
            雑していた。山歩きの人達は高見石方面だけでなく、峠から北のいくつかの池巡りや、縞枯れ山、北横岳、さらに蓼科山などに思
            いを寄せている人達だろう。すでにストーブが焚かれているので暖かい。厚い材質の板を打ち付けた帳場のカウンターから、アル
            バイトの若者がコーヒーを運んできた。アルバイトといえ、こういったところに居場所を見つける若者には、とても親しみを覚える。
             山に入って、山小屋にそれなりの佇まい見つけ、聞耳を働かせても悪くは無いだろう。そこには社会の薀蓄を積み上げるような
            話しや、世間の裏から裏へどろどろと流れ続けるような煩わしい話しは少ない。日常の生活にまつわる他愛のない話しもあるが、
            風次郎にはそんな話しは風が持ち去ってくれるように思われる。見つけた佇まいを取巻く山の気が、必ずそこに集う人々の感嘆を
            伝えてくるように思う。寒くても暑くても、晴れても降っても、山登りが成功してもしなくても、それはそこに集う人々のその日の遺産
            なのに違いない。聞きながら――そう思いませんか!と、眼で声を掛けたくなるものだ。
             そんな雰囲気を楽しんでいるうちに一行がやってきた。仲間が集まるとこんどは聞耳をたてられる方かもしれない。
             「やあ、やあしばらく!」で始まった会話はお互いの元気な存在をたたえるに充分のやり取りを続けさせる。暫し歓談でのコーヒ
            ーも、山の気を加えて疲れを忘れる妙薬と化していくように腹にしみた。恵まれて好天のもとの旅を祝すばかりであった。そして峠
            を下る。

             最早傾き始めた太陽であるが、麦草から諏訪ヘの下りは丁度西斜面となるのですこぶる明るい。陽の有るうちだったので、北ア
            ルプス連峰、乗鞍岳、御岳、中央アルプス、それに南アルプス駒ケ岳、そして富士山までが視界に入る。日本百名山を踏破したN
            は峰々の一望を感慨深げに眺め入るのであった。

             唐沢鉱泉が静かな秘湯で存在するのは、街道沿いから離れているせいであろう。山襞を乗り越えれば近いところにあっても、原
            始林の中は登山道であり歩いて渡らねばならないから、車で入れるようになったとはいっても、沢が異なれば、一旦沢を下り、また
            下から登ることになる。私達は茅野市の湖東まで下りて原村の横道をひと沢渡ったそこから再び登りの道を辿って行った。 
             道路が舗装される前は、林道に用いられるほかは山を歩く人しか通らない道であったが、今は沢山の別荘開発が進み、ゴルフ場
            もいくつかできてシーズン中は賑わいが続く。別荘地の入り口といったところに縄文のヴィーナスで有名な遺跡「尖り石」がある。ここ
            などもその世界では貴重な存在で、最近再建された博物館の内容も充実しており、訪れる人が多い。これを目当ての観光客も含め、
            リゾートを歩く人がこころもちゆっくりに見えるのは、こちらがゆとりをもっているからと意識してもよいのだろうか。東に向かって山を登
            る後ろから、しずかに射し込む夕日がエキゾチックである。
             三井の森の別荘地から先は、かなり急な上り坂になる。舗装道路は一段上にあるゴルフ場あたりまで続くが、その先は石のころが
            る昔のままの林道である。さらに進めば、唐沢鉱泉入口と書いた大きな材木を立てかけたような道標があり、藪の中のやや狭い林道
            に入って行った。
             麓の落葉松は黄葉には少し早いようだった。それが、ぶなや樺の類が多いこの林道に入れば、最早終焉の秋を思わせる程の黄葉
            で、後方の夕陽にきらめいていた。
             唐沢鉱泉には数組のリゾート客がいた。深山の温泉と秋を愉しむ家族連れのようだった。登山の客らしき人は見えなかった。登山客
            であるならば、、ここへ泊まり早朝の登りにそなえるか、一日峰を歩き、夕陽とともに風呂を浴びて寛ぐという場所だが、最近はスピード
            登山が多くなって、東京から日帰りの八ヶ岳登山も多いようだから、宿泊する山男などの姿を麓の温泉ではあまり見なくなった。
             玄関を入り、山の写真が飾られた階段を上ってゆく。浴室はなだらかな傾斜地に建てられた建物の、上の端にあたる場所なので、幾
            つもの階段を登る。階段や廊下の脇に設けられたコーナーに、山の木々が自然に作り出した造形が飾られたり、熊や鹿の剥製も置か
            れていた。
             湯船につかりながら、山好きの仲間たちはそろって山を讃える。山を讃え、湯を讃え自らなお温泉気分を盛り上げるのである。「当に
            秘湯なり」と悦に入っているのを眺めるのも、案内人としては悪くはなかった。浴室は湯船ばかりか流し場、浴室すべてを桧木で仕上げ、
            立てた切り石から源泉を取り出して溜めた湯船の湯気が窓をくゆらしている。標高1870メートル。400年前、信濃政略をもくろむ甲斐武
            田信玄が将兵療養に用いた秘湯と言い伝えられる、とは宿のパンフレッドにかいてある。現代の武将を名乗らでも、一言居士たちの過ご
            すひと時を満たすには十分な応えであった。
             再びおちいった陽を追って、紅葉に包まれた唐沢鉱泉から静かな山懐の道を麓に帰る心こそは、我らの寛ぎと言うに相応しい余韻を感
            じるのであった。

             「山の幸」という、蕎麦屋というには過ぎて料理屋というには少し言いすぎのような、我らには格好な食事処が道筋にある。なんと八ヶ岳
            の山小屋の方が経営しているとのことである。そばが抜群に美味い。文字どおり季節の山の幸を食べさせてくれる。私達もそこに夕食を
            求めた。“きのこのさしみ”“きのこ汁”すべて秋の味覚であった。

             埼玉100年の森を主宰するNは「緑の環境がすべて」と語る。人間が自然を愛し、環境保全に帰れば、心も素直になり、何と神様に近
            づくとまで理論が展開した。
             風次郎も負けてはおられず、資源を持たない日本人は国際的な分野でその頭脳と勤勉さを役立てるべき、を主張する。談論風発、少
            し若い二人は煙に巻かれ(遠慮をよそおい)、合いの手を入れて夜はふけ行くばかり、南天寮に座を移しても尚、夢を追う話は尽きぬの
            であった。

             さて、翌13日のゴルフも絶好の晴天に恵まれた。初老の総勢は5時には起き出して、意気込みよろしく支度を整える。西山の裾を薄
            い霧が南下していく、晴れの持続を告げる朝であった。清々しい冷気を吸って、七時前には南天寮を発った。
             富士見高原ゴルフコースは、八ヶ岳編笠山と西岳の麓1100メートルのリゾート地域に、富士見町が経営するパブリックコースである。
             夏の涼しい環境と年間の晴天に影響され、管理の行き届いた芝はいつも素晴らしいコンディションである。砲台のグリーンと、八ヶ岳
            から釜無川に向かって流れる微妙なアンジュレーションの読み取りに慣れるまで、とても難しいコースだと思う。
             駅前の商店街から、瀬沢新田、乙事二部落を抜けて八ヶ岳の裾を登って行くのだが、次第に広がる釜無渓谷の先は、南アルプス鋸
            山連峰、甲斐駒ケ岳である。クラブハウスに降り立って眺めるとさらに仙丈ケ岳、鳳凰三山そして北岳と南アルプスは一望のパノラマと
            なって美しく朝陽に映えていた。
             その東、白い雲のたなびく彼方にはこれもまた朝の陽を眩しく受けて静かな富士の姿があった。
 
             1ラウンドのゴルフは和気藹々。晴れ渡った空に浮かぶ見渡すかぎりの山々に囲まれながら、仲間はそれぞれの腕前を披露するの
            であった。しかし、方向のコントロールにあれこれと試行を繰り返すに精一杯の、相変わらずのレベルで愛嬌のあるラウンドのようでも
            あった。高地のショットは飛びすぎると言われるが、とても飛び過ぎを楽しめるほどの結果にはならなかった。それでも、終了後ハウス
            での談笑は結構ずくめの反省会となった。 皆、1日雲ひとつ現れぬ青空のもとで楽しく過ごせた事を喜んだ。
 
             チョコレートのやり取りも爆笑の後の握手で、我が訪問客達はつぎの温泉巡りに発つと言う。 
             1杯の清涼飲料水で、彼等はまだ陽の高い八ヶ岳山麓を降りていった。
             又再び峠を越え、夕陽に歓声を上げ、道中他愛のない会話を繰り返しながら、そしてそこに仕合わせを受けとめながら旅路を辿るの
            であろう。

             風次郎は午後の陽を浴びつつ、しばらく西山を眺めていた。昼間鮮やかな彩りを見せていた紅葉の山も、陽が低くなるにつれ少し霞
            んだようになっていく。そしてこの頃になると、しだいに山の表情に抑揚が薄れ、影絵のように変わって行く。それはそれで山の懐かしさ
            のように思う。
             山の懐かしさとともに、友と懐かしさを楽しんだ二日間を胸に抱いて里へ向うのだった。 (2002/10/13)

左から Y,N,T

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